2020.10.21(水) 有休消化第1日目(続き)

O協会4事業所の思い出

O協会は、7年前にこの日記を書き始めた頃の実習先精神障害者支援施設である。

「今の状況から抜け出したいけれども自分に出来る方法がわからないという人がいたら、もしお手伝いできる縁があったら、その人ががんばれるように一緒に考えていきたい」

7年前、最初に書いた日記の中で書いた文。

O協会では1か月ほどの実習で4事業所全てにかかわり、半年ほどのボランティアでT事業所にかかわり、半年ほどおいて採用されて、G事業所に配属になり4年間弱を過ごし、昨年度はK事業所配属、最後の年は、G、J、K事業所を曜日ごとに変えての勤務であった。

O協会で縁があった利用者さんの中で、自分は3人を送り出していると思う。G事業所の男性Kさん、女性Aさん、K事業所の男性YTさん、今、4人目がG事業所の女性SNさんだ。

ここに居続けたい人はそれで良いと思う。でも新たな環境に行きたいような人は、励まして頑張れるように支援するのが役目だと思っている。

J事業所の男性HYさんも昨日就職の内定をもらい、卒業していく人だ。その直前はTTさんが就職して行った。本当に喜ばしいことだ。
J事業所は、4月の半ばから週1で通っていた。清掃作業での就労訓練をしているところだった。運動神経ゼロで足の不安定な私に務まるのかと心配していたが、色々配慮してもらい、忙しいながらも楽しい半年間になった。その前1年間週5の常勤で勤務したK事業所で憔悴しきっていた心を癒してくれた。

G事業所は4年弱を過ごした古巣で勝手が分かってるので、今年はバックアップに徹していた。昨年度1年間で今の体制のベースが整ったようで安心している。

K事業所は、2年ほど前当時所長だったX氏が原因で2人退職してしまい、X氏も所長を降りたいと申し出て、1昨年度はX氏は一般職員となりG事業所のI所長が所長を兼務して1年間頑張ったのだが無理が来てしまった。もと所長が部下というのはI所長さぞかしやりにくかっただろう。
昨年度はX氏を所長に戻ってもらい、中途採用のM職員のサポートのため年寄りの自分が入っていったのだが、私自身ミイラ取りがミイラになってしまい、今年度は週1にしてもらった。昨年度の1年間でM職員とX氏の関係が良好になっているように見えたが、実はM職員が過剰適応で無理をしていたらしく、ここのところ不眠で悩むようになったと最近聞いた。X氏の矛先となっていた私がいなくなることで不安を感じてるのではないか・・・。X氏は利用者にも冷徹な言動があるので、自分はその利用者さんたちをサポートしていたのだが、X氏はそれが(自分を否定されているように感じてか?)気に食わなかったようだった。K事業所に関しては、YT氏を送り出すことが出来たくらいで、思ったより役に立つことが出来ず心苦しく思っている。
ただ、自分が特に支援していた利用者さんのひとりSKさんがご自分で作ったポーチとマスコットを定年退職のお祝いとして下さり、別の利用者KKさんが「これからは明るく前向きに考えるようにする」と宣言してくれたりで、心の慰みとなった。

 

本日10月21日の記録

朝は7時起床。ヤマトイモでとろろを作り、麦ごはんと・・・一口食べたらのどにイガイガが刺さる感じ。主人はなんともないそうである。私はヤマトイモに敏感になってしまい、今後食べられなそうです。

昼間はこの日記を書いたり、メールの返事を書いたり、三線の練習をした。

昼食は面倒なので、チキンラーメンカップ麺、ゆでもやし、大根ときゅうりの浅漬け。

三線サークル活動日で夕方からお出かけ。
22時帰宅でインドの青鬼を2本飲んで、つまみ(柿種、のり、チーズ)食べて寝た。