11月は・・・

母は今年の7月24日に入院し26日に右膝の人工膝関節手術、8月18日にリハビリ病院に転院して11月8日に退院した。それから2週間弱が経つけど、4回しか会ってない。
というのも実家に行きたいと思わないからだ。

さすがに退院当日は、お祝いに花かごとお菓子を持って行った。それから頼まれごとで2回行き、それから同居の姉が通院で日中不在となるからとのことでお昼ご飯を作って持って行き訪問リハビリのアテンドをしたのが4回目。

姉との相性が悪くて、こちらがすごく気を使っていないと、機嫌を悪くされてしまう。そして私は人の怒りの感情が耐えられないため、こわくて近寄れなくなっているのだった。

そういえば夫もテレビニュースなど見ていて機嫌が悪くなることがあり、そういうときトイレとかに逃げることにしている。
なんでこんなに怒りの感情が耐えられないか、分からないが・・・。

11月はダイエットが進み、8月から5kg位減量した。あと5㎏減量したい。筋肉は必要なので毎日トレーニングして頑張っている。年末年始も食べ過ぎないようにしてトレーニングして頑張ろうと思っている。

 

教師試験に向けて

三線の優秀賞合格したので教師試験受験資格が出来た。

師匠から受けるように言われて、素直に受けることにした。

ラッキーなことに、課題曲2曲のうち1曲は優秀賞の課題曲と同じであった。

10月4日に教師試験の課題曲の連絡を受け、それから練習している。

本調子はぢゃんな節と二揚げは述懐節。両方とも難しい。ぢゃんな節は優秀賞で1年3カ月みっちり練習したから覚えているが、述懐節は歌いだしが難しすぎていまだにダメだ。

ぢやんな節だって満足しているわけではないが優秀賞で合格しているので、研鑽すれば教師試験も合格させてもらえるかもしれない。しかし述懐節はいまだに歌えず、楽譜はほぼ覚えているのに、師匠が歌うとおりに楽譜通りに歌うことができない。

頑張るしかないのだ。

10年で変わったこと・変わらなかったこと

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

10年前、2011年は東日本大震災が起こった年で、娘が高校生になった年で、私が2度目の大学生になった年でもある。

その3年前、娘が中一のときに私はシステムエンジニアを辞め、医療事務資格を取って1年半後に病院に就職したが、父の介助のため4カ月ほどで退職。しばらく、父と妹の病院通院介助をして過ごしたが、妹は入院し父も病状が安定したので時間が出来た。
そして改めて精神保健福祉士の資格を取るために大学に入学したのであった。

この10年のうち3年は勉強とアルバイトに費やし、6年半ほどは精神保健福祉士の資格を活かした仕事をする中で、精神に障害のある人たちと向き合っていた。そして自分自身と向き合うことができるようになった。自己覚知ということである。

仕事の中で、大勢の前で三線を演奏しながら歌を歌うようなこともあったため、三線で弾き歌うことにかなり慣れた。そして発表会で独唱することが出来た。

4年ほど前、足首を骨折して2カ月ほど仕事を休まざるを得なかったが、その間、三線の練習をすることが出来て、かなり上達した。骨折後に2度目の新人賞挑戦して合格した。

昨年、還暦を迎え、定年退職して、さらに三線を練習し、今年は優秀賞に合格した。

10年間で変わったのは、三線が上達したこと。娘が学業終え、就職して独立し、結婚して、孫が出来たこと。夫も私も退職したこと。

変わらなかったのは、三線を続けていること。夫と一緒にいて同じ家に住んでいること。健康に気をつけて暮らしていること。

次の10年間は、あまり変わらない暮らしであってほしいと思っています。

2021.10.14 (木) 曇りのち晴れ

Yahooのホームページで、「私の姉は毒親です。」という漫画を知って、1話から最新まで読んでしまって後悔している。

私には毒なところ一杯ある。つい自慢したりするところや、なんか・・・。

だけど、そんな自慢されたって別になんともない人だったら全然毒にならないよね。

たとえばだけど、私は年収1000万の仕事しているよと自慢しても、年収1億の人には自慢にならないしね。誤解ないように書いておくが、実際は昨年から無職で年収ゼロ。

私には姉がいるんだけど、たぶん姉にとって私は毒なんだな。だからかなりひどい態度されるので、よく傷つくのです。だから精一杯気を使って話をするのだが、それでもだめなんだ。姉は母と実家に同居で、母の面倒をみているから、大変だろうと思って出来るだけ私も面倒をみに行ってたのだが、あることを話しているときに逆鱗に触れ、好きな時だけ来ても迷惑と言われ、顔をわしづかみにされたことが恐怖で、それ以来、実家に行けなくなってしまった。

漫画読んで、そんなことを思い出してしまった。こういう被害者意識も毒なのかもしれないね。つい吐き出しでしまった。

 

 

2021.10.8(金) 晴

昨夜遅くに大きな揺れがありました。震度4だったそうです。22時41分。地震震源地は千葉北西部で最大震度5強でした。

もう眠っていたのですが、揺れで起きました。ニュースで被害がなさそうなのを確認して、LINEで友人と連絡とってから、また眠ってしまいました。

朝になって、日暮里舎人ライナーが脱輪とか、各路線点検で遅延出てるとか、色々あり、LINEで義息子のお母様から連絡があったり、娘に安否確認連絡したり、震源地が義兄夫婦の住まいのところなので、電話したり、しました。

私は人との交流が苦手(上手に話せず失言で怒らせてしまうことがあり落ち込んだりする)で面倒に思ってしまう方なのですが、孫が出来たことで、頑張って出来るようになったかな?

 

 

2021.9.6(月)

ときどき鬱になる。

うまくいかないことだらけ。

思い通りにならないことばかり。

悪い予感がする。

そんな感じ。

ここまで書いて、分かったことがあります。

大切な人が自分が正しいと思う方向にに動かず、自分が悪い予感がするようなことをしていると、うまくいってないと感じるのだ。

大切な人が失敗してもいいじゃないか。経験を積む機会なんだよね。
助けられなくてもその人の人生なんだから見守っていこうではないか。

2021.9.1(水)

もう9月。あと2か月と少しすると61歳になるんだ。この一年半、コロナに振り回されて、生きてる感じがしないままだ。以下、wikiからの抜粋

2020年1月9日、世界保健機関 (World Health Organization; WHO) は2019年12月8日に中華人民共和国湖北省武漢市で発生した肺炎の集団発症が新型コロナウイルス(原文では “novel (or new) coronavirus”)によるものであるとする声明を出した。

同年2月1日、「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」の執行により、法令において「新型コロナウイルス感染症」と定められた。厚生労働省日本感染症学会もこれに準じている。

同年2月11日、WHOがCOVID-19(コヴィッド ナインティーン)と命名したCOVIDとは “corona-virus disease”(コロナウイルス疾患)の略称で、19は最初にウイルスが発見された2019年を表している。英語では “coronavirus disease 2019”と表記される。

日本の医学的検診では、武漢から帰国した神奈川県在住者が1月16日に国内で初めての感染事例と確認された。

日本のコロナ禍は、ここから始まったようだ。

2019.4から2020.5まで、悪夢のような勤務場所で仕事をしていたが良いこともあった。
2019.5に娘が結婚、2019.7に孫が生まれた!2019.10にお宮参り。
2020.5から2020.10までは、勤務場所が3か所になり、少しは気が紛れたし、福利施設利用者への銭湯清掃の指導の仕事は楽しかった。
2020.11退職。1か月の有休消化は有難かったが、母が退院して実家に介護手伝いが始まった。
2020.12から2021.5にかけて150日間(約5カ月)の失業給付があり、求職活動をしながら介護手伝いを行っていた。
2021.5の初めに母が最初下痢からの不調で自力で立てなくなり、立とうとして崩れ落ちたりしたことや、介助時に無理な体勢になったのがいけなかったのか、膝がものすごく痛くなり、食欲も無くなり栄養状態が悪くなり、毎日介護に行っていたが、膝の手術をしないと痛みも無くならず食べられない状態が続いて、このままでは老衰すると内科の医師から言われる。6月に整形外科で診察してもらったが、栄養状態など全身状態が悪いので、麻酔に耐えられないから手術できないと言われるが、次の診察までに何とかするのでと医師を拝み倒して、次回の診察につなげる。このころから実家の次姉との関係悪化。2回目以降の診察は、長姉と行くことになる。7月、3回目の診察で、これだったら手術できるかもしれないということで手術前検査をしてOKが出た。
前後するが、2021.5の終わりに私は琉球古典音楽コンクール三線優秀賞部門に出場。どうにか合格してくる。そのため3日間実家に行かなかったことで、次姉は不満を持ったようだった。
2021.6頃、娘がマンション購入を本気で考えだして7月には申し込み。
2021.7下旬に母、入院・手術。8月にリハビリ病院に転院。11月まで入院予定。
2021.8中旬、娘のマンション購入のローン審査が通り、下旬に引き渡しで9月初めに引っ越す予定とした。
2021.8下旬。娘のマンション引き渡し完了。しかし孫の保育園でコロナが流行し、孫は無症状ながら陽性反応。娘夫婦は陰性だが濃厚接触者になり、仕事も休まなければならず、動きが取れなくなってしまった。モデルナワクチン異物混入事件もあり、娘はモデルナ1回目から2週間たっているが2回目の不安あり、懸念している。
2021.9中旬に娘家族の引越し予定。

このコロナ禍の中の出来事をつづりました。