2021.9.1(水)

もう9月。あと2か月と少しすると61歳になるんだ。この一年半、コロナに振り回されて、生きてる感じがしないままだ。以下、wikiからの抜粋

2020年1月9日、世界保健機関 (World Health Organization; WHO) は2019年12月8日に中華人民共和国湖北省武漢市で発生した肺炎の集団発症が新型コロナウイルス(原文では “novel (or new) coronavirus”)によるものであるとする声明を出した。

同年2月1日、「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」の執行により、法令において「新型コロナウイルス感染症」と定められた。厚生労働省日本感染症学会もこれに準じている。

同年2月11日、WHOがCOVID-19(コヴィッド ナインティーン)と命名したCOVIDとは “corona-virus disease”(コロナウイルス疾患)の略称で、19は最初にウイルスが発見された2019年を表している。英語では “coronavirus disease 2019”と表記される。

日本の医学的検診では、武漢から帰国した神奈川県在住者が1月16日に国内で初めての感染事例と確認された。

日本のコロナ禍は、ここから始まったようだ。

2019.4から2020.5まで、悪夢のような勤務場所で仕事をしていたが良いこともあった。
2019.5に娘が結婚、2019.7に孫が生まれた!2019.10にお宮参り。
2020.5から2020.10までは、勤務場所が3か所になり、少しは気が紛れたし、福利施設利用者への銭湯清掃の指導の仕事は楽しかった。
2020.11退職。1か月の有休消化は有難かったが、母が退院して実家に介護手伝いが始まった。
2020.12から2021.5にかけて150日間(約5カ月)の失業給付があり、求職活動をしながら介護手伝いを行っていた。
2021.5の初めに母が最初下痢からの不調で自力で立てなくなり、立とうとして崩れ落ちたりしたことや、介助時に無理な体勢になったのがいけなかったのか、膝がものすごく痛くなり、食欲も無くなり栄養状態が悪くなり、毎日介護に行っていたが、膝の手術をしないと痛みも無くならず食べられない状態が続いて、このままでは老衰すると内科の医師から言われる。6月に整形外科で診察してもらったが、栄養状態など全身状態が悪いので、麻酔に耐えられないから手術できないと言われるが、次の診察までに何とかするのでと医師を拝み倒して、次回の診察につなげる。このころから実家の次姉との関係悪化。2回目以降の診察は、長姉と行くことになる。7月、3回目の診察で、これだったら手術できるかもしれないということで手術前検査をしてOKが出た。
前後するが、2021.5の終わりに私は琉球古典音楽コンクール三線優秀賞部門に出場。どうにか合格してくる。そのため3日間実家に行かなかったことで、次姉は不満を持ったようだった。
2021.6頃、娘がマンション購入を本気で考えだして7月には申し込み。
2021.7下旬に母、入院・手術。8月にリハビリ病院に転院。11月まで入院予定。
2021.8中旬、娘のマンション購入のローン審査が通り、下旬に引き渡しで9月初めに引っ越す予定とした。
2021.8下旬。娘のマンション引き渡し完了。しかし孫の保育園でコロナが流行し、孫は無症状ながら陽性反応。娘夫婦は陰性だが濃厚接触者になり、仕事も休まなければならず、動きが取れなくなってしまった。モデルナワクチン異物混入事件もあり、娘はモデルナ1回目から2週間たっているが2回目の不安あり、懸念している。
2021.9中旬に娘家族の引越し予定。

このコロナ禍の中の出来事をつづりました。